メンタルケア

若い頃にわざわざ『苦労』を買ってまでする必要なんて全くないって話

こんにちは。篠原ケンタ(@haruhitoPG)です。

皆さんも一度は聞いたことがあるこの言葉『若い頃に苦労は買ってでもしろ。』がありますよね。

中でもこの言葉を使うのは決まって年長者が多いです。

もちろん、人生を永く生き、その経験から口を揃えてこの言葉を言っているのは分かりますが、僕は『苦労』する必要なんて今の時代は全くいらないことだと思っています。

ということで、今回はなぜ僕がそう思うのかについて語っていきます。

そもそも『苦労』とは?

そもそも苦労とは、

【苦労】くろう

物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあってつらい目にあいながらも努力すること。また、あれこれと苦しい思いをすること。

コトバンクより引用

これを見ると、

物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと』と書かれているが、これはかなり幅の広い状況でも使えるのでどうしても人によって意味が異なってくる。

僕が聞いてきた限り、この『苦労』の意味をはき違えて使っている年長者が大半なのが事実です。

むしろ、後に続く『あれこれと苦しい思いをすること』の方に認識が偏りすぎている。

だから『苦労』といっても『無駄な苦労』をさせようとしてくるのが事実なんですよね。

なぜ年長者は『苦労しろ。』と言うのか

他人のただただ幸せな話が嫌いだから。

一つの理由としては、シンプルにこれだ。

他人のただただ幸せな話が嫌いだから。』です。

『俺はは散々苦しい思いをしてきたのになんの苦しい思いもしていないのかコイツは。』と思い、要は自分より豊かな人生を歩んできた人のことが気に入らないってことなんです。

人間は皆そうですが、相手が自分よりもいい生活や経験をしているとどうしても僻んでしまう生き物です。

特に、まだ若くて未来がある人生経験の浅い人たちが羨ましくいがゆえに、自分の苦労を思い知らせてやる。と言わんばかりにあれこれと言ってくる人もいます。

これを『若い芽を摘む』って言うんでしょうね。

苦労=美談と勘違いしている。

特にこの考え方が年長者の間で浸透している。

俺が若い頃は…」という始まり、苦労話を繰り広げてはそんな中でも生きた自分を自慢げに話し、「今の若者は…」と便利な世の中が甘い社会であると言い張りだす。

ただ、考えてほしい。

今のこの時代を生きている若者は昔じゃなく、紛れもない今のこの時代を生きている”ということを。

昔は○○なんて無かったんだから。

と言ってくるヤツには

今はあるやん。

って言いたくなりますよね。

でも、これって本当にそうで、

今の時代には『車』があるのに「昔は車なんて無かった。」と言ってわざわざ東京⇄大阪間を歩いて移動しようなんて思いませんよね。

ここで言いたいことは2つあり、

  • 常識は常にアップデートされるもの
  • 昔の苦労とは非効率な仕組みから生じていたもの

ということ。

人間は大昔から誰しもが幸せで快適な生活や暮らしのために、より良いサービスを発明しては改善を重ねて今の世の中を造ってきた。

つまり、『今には考えられないような苦労=非効率な仕組み』を地道に無くしてきたからこそでは当たり前なモノやサービス”があるに違いない。

そして、現在はIT革命の真っただ中。

様々なサービスや仕組みが発明され、『今までの苦労=非効率な仕組み』が次々と便利なモノや便利な仕組みに変わっていく。

ただ、今の時代の変化に過去を生きてきた人間の考え方が追いついてないってだけなのだ。

そもそも『苦労』の意味が変わってきているということ

そもそも『苦労』という言葉の認識が年長者と、若者では異なるということ。

年長者が考える『苦労』とは、自分の身に降りかかる問題や壁には逃げずにぶち当たって、もまれるべきだということ。

人間関係や仕事にはその『苦労』がつきもので、経験して当たり前のことだという考えである。

一方、若者が考える今の『苦労』とは、ただ生きていくための何かや熱意をもって取り組んでいること以外を指し、自分の目指すものや夢のために励むことまたは、夢中になれることは含まない。

理由は、好きでやっているからだ。

好きで続けていることでは『苦労』ではなく『努力』という認識になる。

現代でこそ、好きで続けていたことがお金になる世の中があり、むしろその方が稼ぐことが出来る。

だから、『苦労』なんてする必要は全くない。

今やっていることが『苦労』だと思うのなら『努力』だと思えることを探すべきだ。

だから『苦労』なんかは買ってするものではなく、『努力』だと思えることを買ってでもするべき!ってこと。