初めまして。篠原ケンタ(@haruhitoPG)です!
早速ですが、今回は自分(篠原ケンタ)の2018年の今までの歴史をまとめて自己紹介をさせてもらえればと思います!
まず最初にひとつ言わせていただくと、
いわゆるブログを始める人は、「学生の頃に起業した!」「名門の大学卒業!」などアピールはしていないもののサラっと書いている方々が多いと思います。
で結局「なんだ、だから頭いいんじゃんか。参考にならないわ。」ってなってしまう。
なんてことが多々あるかと思いますが、
僕はそんな自慢できる経歴も経験も一切ないので、僕ができることは確実に皆さんも普通にできることだと断言できます。
なので、そんな平凡な僕の歴史を温かい目で読んで知って頂ければと思います(笑)
目次
簡単なプロフィール

- 1993年生まれ、埼玉県出身
- 好きな言葉「恐れは常に無知から」by エマーソン
- 旅と音楽と映画と読書が大好き
- 就職→留学→ワーホリ→就職(現在)
篠原ケンタの歴史
『可愛らしさ抜群の一枚。』
赤ちゃん時代:とにかく可愛かった
1993年12月9日に埼玉県の大宮、某市民病院で誕生。
それからしばらくは大宮に住むものの徐々にアトピー体質であることが発覚し、親の仕事と治療の意味も兼ねて空気の良い地方(長野県)でしばらく暮らすことに。
その後、父の故郷である福岡県太宰府市で暮らし、2~3年してまた埼玉に戻ることとなる。
幼稚園時代:苦難の日々
生まれつきアトピー性皮膚炎に加えてアレルギー体質だったため、フルーツを食べたり、動物に触れると無性に痒くなったりしていました。
それでも好奇心旺盛な一面もあったので、フルーツは食べるし、猫も触っては後で痛い目に合うという、とにかく周りよりも不自由な思いをしていた幼稚園時代。
思えば好奇心旺盛な性格は一切今と変わっていない気がする(笑)
小学校時代:波乱の幕開け
小学校への入学初日、入学式でクラス発表が終わり、自分のクラスである1年2組の教室に入るや否や、先に入っていた暴れくるっている2人の同じ組の同級生に当然の如く投げ飛ばされるところからスクールライフの幕開け(笑)
そして、
3年生、4年生になると、初めは人見知りしていた僕も友達が増えていき、運動神経が良かったことや足が人一倍速かったことなどからいわゆる元気なグループの仲間入りを果たす。
しかし、6年生になると一変。ひょんな事からいじめにあってしまい、そこからはできるだけ変に目立たないように静かなスクールライフを送り始めることに…。
中学校時代:旅の楽しさを知る
中学校に入ると、当時めちゃくちゃ欲しかった「パワプロクン」のゲームソフトを野球部に入れば両親が買ってくれる!という理由だけで勢いで野球部に入部を決める。
野球部では打率こそ低かったが、足の速さが買われ3年間ずっと打席9番と1番のポジションをキープしていた。
だが、中学校に入学してすぐに仲良くなった友達の影響で音楽と自転車の旅にハマり、暇さえあれば音楽を聴くようになり、休日は自転車で片道大体40km圏内の範囲であれば軽く旅に出ていくようになり後半は部活に顔を出さなくなっていく。
そこに拍車をかけるように、部活動内の問題もよく起きては休部になる日が増えていき、その度に自転車の旅をするように。
そして、部活動がある日でもサボって自転車の旅に一人でも出るようになる…。
高校時代:部活に恋も…
高校生になると、中学校の同級生と一緒にバドミントン部に入り、とても充実した人間関係、部活動ライフを送りますが、特にこれといった成績を残すことはできずに、3年間が終わってしまいます。
また、通っていた高校は恋愛禁止の学校であり、規則が厳しかったので卒業後に付き合う約束をしていた相手がいました。
ですが、卒業してすぐに呆気なく振られてしまうことに…
その数か月後、一番親しい友達と付き合っていることを知り、しばらくの間、複雑な気持ちになっていたが、すぐに別れたとのことを聞き安堵する(笑)
大学生時代:変革期①
大学に入ると、とにかくいろんなところでバイトをしたいと思い、手当たり次第に募集しているバイトの面接に行っていました。
学校に入った当時は、既存のサークルに所属していたのですが、好きな時に好きなことを自由にできるようにするため、いつも一緒に行動していた友達と新しくサークルを立ち上げることに。
大学2年生の夏に、海外ボランティアで見つけた「ぼらぷら」というNGO法人の企画である「カンボジアボランティアツアー」に参加することになり、そこで初の東南アジア上陸を果たす。
『カンボジア/ベンメリア遺跡にて撮影』
これを機に、海外(特に東南アジア)に興味を持つようになります。
大学生時代:変革期②
大学3年生のときに『先輩rock you』に出ていたナオト・インティライミさんの言っていた『要らないものが捨てられた』という言葉に衝撃を受ける。(≫その時の動画を紹介している記事はこちら)
そして、『世界中にどんな人々、仕事、風景があるのか知らない状態で自分の本当にやりたいことなんてわからない。』と思い、世界一周を決意。
世界一周のウォーミングアップをするため、ネットで偶然見つけた、ひとり旅斡旋企画『タビイク』に参加し、初めてひとり旅でタイのバンコクに2週間ほど滞在する。
『タイ/バンコクのカオサンロードにて撮影』
その後、就職活動が始まると、1社目の会社説明会で飲食店経営のベンチャー企業の社長に出会い、飲食店経営に興味を持ち始める。
世界一周を決意してからは、絶対に行きたいと思っていましたし、確実に実行すると決めていたので、出発日を先に決め、それまでの間は社員として飲食店経営を働きながら学ぶことに。
世界一周の旅へ
そして、出発日である2017年9月10日(ポルノグラフィティのデビュー日)に予定通り、世界一周の旅に出る。
1ヵ国目であるフィリピンには語学留学で『TARGET Global English Academy』というセブ島にある日系の学校に約3ヵ月滞在することになります。
関連記事:(≫ワーホリに行くなら留学は3ヵ月が一番効率的な理由とは)
関連記事:(≫留学・ワーホリにおすすめの持ち物リストを徹底紹介)
このフィリピン留学では、今までにないほど毎日英語の勉強をしていました。
『フィリピン/セブ語学学校TARGETの卒業式にて撮影』
フィリピン留学後、日本に一時帰国したのち、オーストラリアへワーキングホリデーに出るが、ちょうど2ヵ月ほど過ぎたとき、この留学、ワーキングホリデー、世界一周の経験や情報が発信の仕方次第で資産にもなり、マネタイズできるものであることに気づかされる。
そして、その頃ちょうど怪し気なファクトリージョブ先に向かう前日で、もしここに行ってしまうと、しばらくの間は身動きがとれなくなるほど、資金もギリギリだったので、正直なところ迷っていました。
悩んだ結果、帰国を選び、ITリテラシー、発信スキルを付けてまたオーストラリアに戻ることにする。
『シドニー/タウンホール駅からすぐのゲストハウスにて撮影』
帰国すると、『プログラミングスクール』と『田舎フリーランス養成講座』に参加し、ブログでの発信方法、SNS活用、SEO対策、フロントエンジニアの勉強をします。
そして、2度目のオーストラリアワーキングホリデーに出ますが、アトピー性皮膚炎の急激な悪化により2週間ほどで帰国する羽目に…。
関連記事:(≫プログラミング学習を始める前に必ず知っておくべき事とは)
予期せぬ帰国から…
本音を言うと、この時は周りの友達にも会う気にもなれず、ましてやお金もなく、これからのプランも突然の計画変更が故、まったく代案を用意していなかったので、まず体制を立て直す意味も込めてとりあえず就職活動をします。
就職活動を2週間ほどすると、内定先が決まり、外国人人材紹介の営業として働くことになります。
営業職のリクルーティングアドバイザーとして企業にテレアポや営業に行きましたが、BtoBの営業の業務自体にやりがいや楽しさをいまいち感じられずにいました。
そんなとき、僕より2週間前に入社した先輩の営業同行に行き、そこで心からこの仕事を楽しんでいることに気づき、『この仕事でこの人に勝つことはできない。』と、このときに悟りました。
このときに『仕事を仕事と思って楽しさを感じれないことをこの先やってたら誰にも勝てない。』と思い、早い段階で退社をすることに。
ただ、短期間ながらこの会社にはとてもお世話になり、IT関連の知識、外国人人材事情、ITエンジニア事情など、知って驚く情報も多々あり、かなりの勉強になったことは間違いありません。(≫そのときの記事はこちら)
そこからは、自分が仕事だと感じない土俵で稼ぐことを決めます。
そして、フル装備して世界に出ようと。
自分の理想のライフスタイル、心から楽しい毎日にするために!
続く…